Quantcast
Channel: 高円寺を愛するひとへ、ビビッと通電!高円寺のWEBマガジン【Concent】 »インタビュー
Viewing all articles
Browse latest Browse all 5

杉並区高男寺四丁目「森本レオの場合」sponsored by BULK HOMME

$
0
0

1

2

3

4

5

6

7


――レオさんは、高円寺に住み始めてどれくらいなんですか?

43年ぐらい前じゃないかなあ。

――きっかけとかありますか? 高円寺を選んだ理由とか。

きっかけは、漫画家の永島慎二*1さんが阿佐ヶ谷に住んでて、井伏鱒二さんや太宰治や坂口安吾*2さんたちの残り香もしていたからかな。新宿にもほどほどに近いし(笑)
 
――その時代は新宿が文化の拠点でしたもんね。

そうだねえ。風月堂*3にはいっぱいヒッピーが居て、ジャズ喫茶もたくさんあって、安酒で気を失って路上で転がってるのが最先端のおしゃれだったねえ(笑)。

――ではそこからずっと高円寺なんですね。

ですねえ。怠け者なんで、一度座ったらあまり動きたくないんです(笑)。

_MG_1862

「すごいレアな映画を、画用紙4枚画鋲で壁に留めたスクリーンで観ていた。宝物のような時代だったなあ」


――そのころの高円寺ってどんな町だったんですか?今と全く云々違う?

いや、違わなくはないかな。みんな、素朴に素直なんですよ。
だから愚直に要領が悪かったけど、その分人に優しかったんだ。
フォークソングが全盛で、学生街の喫茶店では、PPM*4やブラフォー*5をバックに、アポリネール*6だのロートレアモン*7だの、非ユークリッド*8だのミニマリ*9だの家具の音楽*10だのと。
まあ知らない言葉の富士急ハイランドだったよ(笑)。時々永島さんまで来てくれたりして、毎晩徹夜ですよ。でもそれが楽しくてさ、どれだけ学ばせてもらった事か。

_MG_2059

東京演劇アンサンブルっていう立派な劇団もあって役者はうようよ居たし、絵描きや詩人や漫画家に歌うたい達、学生運動家も当たり前に居たね。
コルボ・シネマテークと言う映画の輸入グループもあって、「ラ・ジュテ」*11や「黄金時代」*12(戦前のフランス前衛映画)や、ポランスキー*13やスピルバーグの短編や、すごいレアな映画をいっぱい見せて貰った。コルボのぼろいアパートの、画用紙を4枚画鋲で壁に留めたスクリーンで(笑)。宝物だよ。
みんなお金がなくて、いつもピーピーしてたけど。とりあえずどんなに貧しくとも、死ぬまでずっと、「可能性と言う存在」で居ようぜと、密かに覚悟していたような気がします。
諦めない事。それがたぶん、「無頼」の意味なんだ。

――時代は変われど、今の高円寺とほとんど一緒な気がします。

うーん、でも無頼派から無精派になっちまってるかもな(笑)。

_MG_1943

「高円寺は、昭和無頼派の残り香で生まれた街なんだ」


最近は歌をうたっている人くらいしか知らないけど、なんて言うか、なまけ者だよー(笑)。「歌と祈りは内緒の兄妹なんだよ」、みたいなネタ振っても、「勉強なります!」で終わっちゃう。うざいんだろうなあ、知識は知恵の肥やしなのに。でもアートも野良仕事の一種なんだからさあ、ちゃんと耕そうよ自分の畑を(笑)。
昔の人たちはドンチャンしながらも、考えるという作業自体を、楽しんでいたね、どん欲に。歌って何だろう?感受性ってどこから来るんだろう? 愛って何? 哲学は?
要は、毎晩ブレインストーミングな日々で、それが新鮮だったんだ。
僕が学んだ広告の基本が、少し役に立ったみたいでしたね。
もう今はギンズバーグ*14も知らないもんねえ。

――え?広告やってたんですか。

うん、元々引っ込み思案なんで、ひっそりコピーライター志望だったんだ。でも当時住んでた名古屋では、まだコピーにお金を払うと言うルールが無かったんです。で、呆然としていたら、運良く役者にされちゃった。

「村上春樹青年が、公園の夕陽のベンチで茜色に輝いていた」


まあ、コピーライターも役者も、みんな言葉をはらみ直す作業だったから、応用が利いたんですよ。だからそんな、考え方その物を発明しちゃおうぜ、と言う遊びに、みんな食いついてくれたんです。

――喫茶店とかで?

駅の近くのガード沿いに、いつもファドやフォルクローレやシャンソンを古いスピーカーで品よく流してくれている、ロバという名の小さな喫茶店があってね。客が居る間はずっと開けていてくれる、優しい店だった。
噂では、ママさんは遠い日のシャンソニエだったそうだ。
そのママさんの人徳で、まあ、たくさんのアーティスト志願が行き交っていた。香港から来ていた作家志望者は、チャン・イーモウ*16のシナリオライターになったと言うし、うちで留守番していた浅草のテル坊はゲームで当てて王子様になっちまった。*17ロバのそばのアズ・スーン・アズと言うライブ・ジャズ・スナックがあって、小銭が貯まると菅野沖彦さんや本田竹彦さん達を聴きに行ってた。

_MG_1907

そこで、若き日の村上春樹さんが、ボーイさんをやってたんだって。
俺、もしかしたら春樹さんにカレーライス運んでもらってたかも知れないんだぜー。

――それはうらやましい。それ、事実かどうか確かめてみましょうか。

_MG_1991

止めなさい。ここは夢の街だって言ってんだろうがー!

――はいはい(笑)。でも確かに小説に高円寺がよく出てきますね。

でね。アズ・スーン・アズの向かいの、ポエムの坂を下りて行くと小さな公園があるんだ。たまたま夕暮れ時にみんなでだらだらその公園を通り抜けてたら、そのボーイさんが奥のベンチで静かに本を読んでたんだ。黒いチョッキの制服姿にコートを羽織って。声をかけようとさりげなく近づいたら、英語の原書だったんだって。急にみんな萎縮して、こそこそ通り過ぎてしまったよ(笑)。

――ぜひ本人に聞いて確認してみたいですねえ。

だから、止めろって、言ってんだろうがあ、想い出はみんなメルヘンになるんだって! 夕焼け色のさあ(涙)。

――割とそういう自由な方たちと、毎日遊んでたわけですね。

_MG_2047

楽しい時代だったなあ。ぼくはガチガチのノンポリだったんだけど、みんな本音に近い話をいっぱいしてくれた。マルクスも後年さり気なく反省してたんだってね。みんなそっと知ってたんだ。
あまり名前を出しては失礼だけど、やがて名をなしてゆく人もいっぱい居たけど、西岡恭蔵君*17や鷹魚剛君*18のように、時代とすれ違ってしまった人たちもずいぶん居た。オグラがんばれ、西井がんばれ、華子けっぱれ。河田もキボリオも浜崎もみんなめげんな。(←高円寺で頑張ってる、物書き、絵描き、歌うたい達です)マックならおごるぜ。

――(笑)

「衣食住、あんまり興味がないからなあ」


――今の高円寺で、お気に入りの場所はあったりします? 好きな所とか。

北口の麦酒屋(高円寺麦酒工房)さんはミラノの地ビール横町よりも絶品物だし、その向かいのグッド・リビングも良い時間が流れているし、純情商店街のポポラーレは裏メニューでフナデニ・ソースを作ってくれるし、醍醐の豆腐グラタンはヘルシーだし、月丸海は九州直送だし、キムチの赤プルコギは他では食べられないし、四丁目の姐チャンの酒は楽しいし、七つ森には宮沢賢治が隠れてるし、ライトサイドカフェはバルト海の風が心地よいし、ペリカンはエクスプレスだし、次郎吉は同期生だし、AGではひそかに増尾好秋さんが遊んでるし、ルックの通りを左にひょいと曲がったチントンシャンは、純和風割烹なのにパデレフスキーやグールドをかけてくれて、和服の女将が美しすぎる。

_MG_2010

でも、衣食住、あんまり興味がないからなあ、一日中上島のぱさついたサンドイッチかじってる日もあるよ(笑)

「なじみの喫茶店の机に、古本を積み上げて、世界を手に入れる幸せ」


――今回、男のかっこよさとは? というところもお聞きしたいのですが。

僕は能力ないですねえ、結局古本屋さん巡りをしちゃうんですよ。何冊も買い込んで、なじみの喫茶店のテーブルにどんと積み上げてあちこちめくりながら、世界を手に入れた気分に独りでデレついちゃう。だから度量の広い人じゃないと、ダメなんですよ。
余りに美しかったりする最先端ぽい人とは、その日のうちに逃げますね。基本的に気が小さくて、わがままな根性ナシです。
あー、どうせかっこ悪いさ、ゴメンなっ!

_MG_2101

――(笑)どなたか、印象に残ってる「かっこいい人」はいますか。

みんなかっこいいんだけど、僕の中ではとりわけ原田芳雄さんです。
あれほど、人の傷みや孤独に優しい人は居ませんでした。
芸能人って、しょせん庶民サマの鬱憤晴らしのガス抜き要員じゃないですか。
だから、時々悔しい思いをする時もあります。そんな時、さりげなくカップ酒を持ってやって来てくれて、「世間なんざ、字ずらしか読めねーバカばっかだー」と大笑いしながら、話し込んでくれるんです。
それも僕の話には触れないで、ほとんど自分自身の苦労話や失敗話なんです。そして、「俺も小っちぇんだよー」と大笑いをするんですよ。
それでいつの間にか、どっちが小っちぇーか競争を、二人で延々とやりあうんですね。勝ったねとか、くっ悔しい、とか言いながら、さいごまで同情事は一切言わないで。芳雄さんの、色んな切ない話を伺いました。

さり気なく病院の手配までしてくれたのに、結局不義理ばかりしていました。今でも「バッカじゃねーの」、の口癖が聞こえます。
あんなにかっこいい人は、見た事がありません。

「かっこいいというのは、いたわり心でできているんですよ」


そもそも「格好」というのはね、「納まりがいい」ってことなんですよ。枠からはみ出さずに邪魔をせず、でも程よく座りがよくて、場を和ませる。そのいたわり心と言うか柔軟さのことなんだ。ファッションてね。本来相手を癒すためにするものなんです。だから、相手を押しのけて目立とうとするのは、下品(ゲボン)の極みなんですよ。少なくとも昔の高円寺ではね、それが当たり前の常識だったね。

――レオさんが考えるかっこよさみたいなのは、今の高円寺にはない?

高円寺って、基本的に自然体だからね。いまだにあんまりはみ出したりはしない人が多いよね。関東大震災で生命からがらたどり着いた人たちの思いって、まだ深いところに残っているような気がするよ。
新宿まで7分! と言う距離感がいいんでしょうね。新宿にも渋谷にも興味はある、でもずっぽりはまらず冷静に観ていられる距離。その7分の距離感が、高円寺の理性なんじゃないのかなあ。その距離をいつも感じながら、みんな自分の言葉を捜していたんですよ。

_MG_2112

――ありがとうございました。僕も高円寺民として肝に銘じます(笑)

【文中注釈】
1(劇画マンガ家。『漫画家残酷物語』など)
2(無頼派と呼ばれた作家群)
3(新宿にかつてあった名曲喫茶。のちに有名になる芸術家が多数通っていた)
4(ピーター・ポール・アンド・マリー。アメリカのフォークグループ)
5(男性だけのフォークグループ)
6(フランスの詩人・シュールレアリズムの生みの親)
7(同じくフランスの詩人。シュールレアリズムに大きな影響を与えた)
8(幾何学の一種)
9(最小限のモノが美しいという哲学の一種)
10(フランスの作曲家・エリック・サティの室内楽曲とその思想そのもの)
11(60年代のクリス・マルケルによるフランスSF映画)
12(ルイス・ブニュエルによる戦前のフランス前衛映画)
13(ポーランドの映画監督。『水の中のナイフ』など)
14(アメリカのカウンターカルチャーを代表する詩人)
15(中国の映画監督。『紅いコーリャン』など)
16(広井王子。ゲームクリエイター)
17(日本のフォーク歌手)
18(同じく日本の70年代に活躍したフォーク歌手)

3

【info】
森本レオ

1943年生まれ、愛知県出身。大学卒業後、NHK『高校生時代』で俳優デビュー。ラジオ深夜放送の先駆け『ミッドナイト東海』のDJとして若者の支持を得る。穏やかで優しい声質で、ナレーターとしても人気が高い。芸名の「レオ」は「俺(オレ)」を逆さにしたことが由来。主な出演作品に、フジテレビ『ショムニ』、ナレーション『きかんしゃトーマス』、CM『東京ガス「ガスファンヒーター」』など。

680_120a

[ライター/神田桂一 カメラ/木村和平 撮影場所/Yonchome cafe]

Viewing all articles
Browse latest Browse all 5

Trending Articles